祝!ミニスーパーファミコン発売!

ども!ともっちです!
昨日、ミニスーパーファミコンが無事に発売になったそうで、良かったです!
昨日から楽しんでいる人も多いのでしょう!
あなたは楽しんでますか!?
ともっちも 持ってるファミコンで発売記念にパックマンをプレイしました!
・・・で、30分で満足しちゃって飽きちゃいました・・・
やはり物語の無いゲームはともっちには無理だわ・・・
 
この平成の日本で、これほどまでにファミコンの面クリアゲームがやりたい!!
スーファミの面クリアゲームがやりたい!!って人が多いとは思いませんでした。
皆さんが満足できて、良かったです!
 
・・・満足・・・してますよね?
まさか、「何か違う!」なんてなってませんよね?
 
今一度 問いますが、「本当に、あの当時のゲームがやりたい!・・・んですよね?」
今のゲームがつまらんから、昔の売れたゲームに「面白い」を求めた・・・なんて訳じゃないですよね?
 
当時のファミコンスーファミを求めているなら楽しめるでしょう!
・・・でなければ、ちょっとやっちゃったかも・・・?
今のゲームは、過去のゲームの面白さを複合的に合わせた面白さですから、ファミコン当時の面白さより格段に進化しています。
問題は、複合的になったことで、ゲームの面白さがわかりにくくなってる場合がある!ってことです。
 
ともっちはまだ書いてませんが、プレステ2で容量が更に増えたことで、ゲームは「複合化」してしまった・・・と思ってます。
プレステまではシュミレーションはシュミレーションに、ロープレはロープレに「特化」した進化だったと思ってます。
だからゲームの面白さがわかりやすい!ゲームが多かったです。
 
でもプレステ2で統合化されてからは、アドベンチャーがシュミレーションの、ロープレがパズルゲーの面白さを持ってしまった・・・
面白さが画一的になったことで、面白さがわからなくなってしまったのです。
手元のゲームをロープレとして楽しむのが正解か、間違いか?がわからなくなったのです。
だって、ロープレみたいでパズルみたいなゲームだから・・・です。
 
ゲームは「楽しむもの」なんですから、そのロープレ的で、パズル的な「面白い」を素直に楽しめば良いだけなんです。
だから子供達は純粋に楽しんでます。
しかし、大人は「面白いを整理できず」に「理解できず」にわからなくなります。
「なんとなく面白いけど、何が面白いんだ?」「なんかつまらないけど、何がつまらないんだ?」ってね。
で、体験した「つまらない」が、そのゲームの印象になる。
それを決めたのはあなた自身です。
ゲームを理解できてないあなたが「なんとなく」で「決まった」のではないですか?
「つまらない???」って。
 
ゲームの本質は娯楽です。
なんらかの「楽しい」が入っている筈なのです。
それが「わからない」なら「楽しい」訳がありません。
 
あなたが手元のゲームに求めた「楽しい」は「何」ですか?
手元のゲームに「入っているもの」ですか?
それがわからないなら、「ゲームは楽しくない」でしょう。
 
だって、あなたが「自分の楽しめる{何か}を知らない」のだから。
 
とりあえずプレイして、答えなんか見つかりませんよ。
 
ともっちみたいにやみくもに10年経過するだけ・・・じゃないかな?