ともっちのゲーム観

ども!ゲームおぢさんのともっちです。
今日はともっちなりのゲーム観を書いていこうと思ってます。
既に書いた事も有りますが、ともっちなりのゲーム観と思っていただけたら幸いです。
 
ファミコンは面クリアタイプ。
物語がほとんど無く、ただ面をクリアしていくだけ。
クリア時の達成感が得られる。
一部のロープレ等に物語があり、大人も楽しめるかもしれない。
物語は単調で、起伏も少ない・・・と思う。
 
スーファミファミコンの面クリアタイプを進化するも、基本的には似たような感じ。
ロープレには多大な進化があり、多少物語も複雑になった。
起伏もあるが、演出は人形劇的。
大人も楽しめるが、人を選ぶかも?
 
プレステは容量の増加で物語を手に入れた。
操作する面白さ、物語の面白さが有る。
大人でも楽しめる程度の物語があり、面白さもわかりやすいと思う。
操作の楽しさより、操作の難しさがあるかもしれない。
物語にも深いものが有ったりする。
 
プレステ2は、プレステの続編的なソフトも多く、安定感もある。
プレステソフトの面白さを融合したソフトも多く、単純にジャンル分けできない。
面白さの見極めも手がかかる。
面白いソフトも多いが、面白さがわかりにくいソフトも多い。
大人でも楽しめるソフトも多い。
 
プレステ3はともっちが限界を感じたハード。
CPUの高性能化でポリゴン表現に特化したイメージがある。
フルポリゴンの中を歩き回れるが、これが「ゲームの面白さ」だとはともっちには思えない。
むしろ移動しなければ何も進まないのが面倒に感じる。
操作も「面白さ」よりも「煩雑さ」を感じさせる。
「ゲームを楽に楽しみたい」ともっちには致命的。
「操作を覚えなければゲームできない!」というなら、そんなゲームはプレイしたくない。
仮想現実を楽しめる感覚が必要なのかも?
フルポリゴンで楽しめたゲームは、ゼルダ時のオカリナムジュラの仮面、マリオ64くらい?
面白くする方法はあるはずなのだが、どこもやらない。
FPSもTPSも嫌いだ。
人を撃つゲームを「楽しい」とは思いたくない。
少なくとも「ともっちには無理」
あくまでもともっちの主観だが。
主観で楽しむのがゲームなのだから、合う、合わない、は絶対的になる。
モンハンもグラセフも無理だった。
ここまでの「リアルさ」はともっちはいらない。
オーバースペックだ。
 
もちろんプレステ4もいらない。
 
・・・これがともっちのゲーム観です。
 
だから初代プレステを楽しんでいるだけです。
 
任天堂のゲーム機はともっちに合うみたいで、今でも楽しんでます。
 
結局は「自分に合ったゲーム機」で、「自分に合ったソフトをプレイする」だけですね。
あたり前ですが。