ゲームのちょっと難しい話・・・その2w

ども!ともっちです!
今日は昨日の頭痛ネタの続きですw
 
ともっちは 昔に釣りゲームをやってた時、それを見た知人に「こんなゲームで釣ってたって食べれないから無意味!!」と言われたことがあります。
知人にとっては釣り=食料確保・・・って意味しかなかったんだろうと思います。
ともっちは「ずいぶん唯物的な考えを持ってるな~?」と思いましたが・・
 
だから彼はゲームで釣りをするのは無意味で、現実に漁にいけば?って言ったんだろうと思うんだけど・・・
でも、ともっちは魚が食べたくてプレイしてた訳じゃありません。
「釣り」という面白さを観念的に楽しんでいただけです。
 
そもそも魚が食べたいなら魚屋かスーパーに行きますよ。
わざわざ自給自足するなんて・・・海が近いならわかりますが、ともっちが住んでるとこは山なんですけどw
 
彼はゲームというものが よくわからなかったのでしょう。
子供の頃の釣りとおんなじ「楽しむための釣り」なんですけどね。
 
唯物的に釣りをするなら、現実の道具一式と移動手段が必要です。
そして、それを成すには「お金」と「時間」が必要ですね。
あたりまえですが・・・
そして、海に行けば事故の危険もあります。
 
ゲームという娯楽には、こういった現実的なモノは あまり必要にはなりません。
テレビの前に座って、ソフトを立ち上げるだけです。
危険も釣竿も必要ありません。
ミミズもゴカイもねw
 
誰でも気軽に自宅で釣りを楽しめます。
 
ただし・・・観念的に・・・ですから「釣りをしたような気分」になれるだけで、魚は入手できません。
 
ゲームでは、レースも飛行も思いのままです。
ただし、実際には車も飛行機も入手できません。
「夢みる」だけの観念です。
 
多感な子供達は「この感覚を楽しんで」いるのです。
 
心が閉塞した頑固な大人には無理な感覚なんですね。
 
ゲームが楽しめない人は「自分の好み」や「自分の価値観」をゲームに押し付けます。
こうじゃないだろ!なんでそうなる!って。
えり好みしてる・・・っていうか、無いものねだりをしてる・・・って感じがするのは・・・ともっちの性格が悪いからなのかもしれませんがw
 
話がそれましたが、唯物の世界には限りがあります。
どれだけお金があっても老いは止まらないし、いつかは「死」が訪れます。
初恋の人に会っても歳をとってます。
そういう望みは現実世界では 手に入らないのです。
だから観念世界が必要とされるのでしょう。
 
ときめきメモリアルではともっちは16才になれるし、レースゲームではレーサーになれます。
そういう「唯物世界では成れない自分」になれるのがゲームの面白いところです。
ともっちは そういう「夢(観念)世界で羽ばたける翼(ゲーム機)を手に入れた・・・と思うのですが・・・
 ・・・ってのは良く言い過ぎかな~?w