「容疑者Xの献身」の個人的レビュー

ども!ともっちです!
今日は映画「容疑者Xの献身」の ともっちなりのレビューを書いていきたいと思います。
ともっち、この映画が大好きで!!w
初めて見た時に感動しちゃいまして・・・
「こんなにも 人を愛する事ってできるのか?」って・・・
 
以前に「唯物論、観念論」といった価値観を記載しましたが、この二つの理論を知ってると「見えてくるモノ」が あったりします。
 
主人公の「湯川」は物理学の天才!
故に唯物論的な彼は「愛」という価値を否定します。
そんな「見えも、観測も出来ない無形なモノに、価値も意味も無い!」と・・・
しかし、同じ天才でありながら数学者の「石神」は数学といった頭の中の観念で生きているせいか、観念論的な「愛を知り、愚か者(犯罪者)へと堕ちて」しまう・・・
 
互いに孤高の天才であるが故に、友人すらいなかった二人・・・
恵まれている湯川に対し、石神は孤独で自殺すら試みます。
母親の為に学校にも残れず、得意な「数学の研究」の道すら閉ざされた自分。
生きる価値も意味も剥奪された石神にとっては、隣に生きている親子を「見続ける事」だけが救いであり、存在する意味だったのかもしれません。
実際、「生かされてる」と言ってますし。
その石神が最後に涙に濡れながら叫ぶ「なんで・・・、どうして・・・・」の台詞は ともっちには「哀れ」でしかありません。
あそこまで人の心を読んでいた石神・・・
彼は「本当の人の心」は理解できていなかったのではないか?と思うのです。
自らの「四色問題の答え」を「綺麗に」作り上げた石神・・・
しかし、親子の心の変化で「同じ色」になって破綻する・・・
だから泣き崩れたのではないか?と、ともっちは思えるんです。
そして「唯物の天才 湯川」と、「観念の天才 石神」の、どちらが「幸せ」なんだろう?と思うんです。
 
石神は「愛を知って留置場へ」行き、湯川は「此処に居る・・・「愛を知らず、意味すら「見えず」に・・・
 
ふたりの天才がたどり着く「答え」は、我々凡俗の悩みと同じです。
誰もが愛を求め、彷徨い、悩んでいる・・・
 
「良い映画だな~」って思うのですよw