ゲームとの「間違った向き合い方」

ども!ともっちです!
ここしばらく 私生活でいろいろあって ブログの更新ができませんでした・・・
「ゲームなんて プレイしてる場合じゃない!!」って状況で 、対応に大忙し!!

・・・と、真面目な話はここまで!ってコトで、いつもの「ゲームおぢさんのバカ話」に戻ります(笑)
ここ数日、ゲームに触れる事すらできない状況だったのですが、おかげで何人かの人達と出会って会話する機会がありました。
ともっちがゲームを趣味にしている事・・・
それを30年以上続けている事・・・
そう言うと、大抵言われるのが「飽きませんか?」って言葉・・・
「飽きないですよ」って言ってほとんど終わるんですが、たまに「なんで?」って聞いてくる人もいたりします。
説明すると長くなるんですが、ゲームを30年続けるゲーム馬鹿の価値観って事で 一応書いておきたいと思います。

ゲームに感じる「面白さ」っていうのには いくつかのパターンがあったりするんですが、それを知らない年齢でゲームに向き合い、ゲームに慣れてしまっている人・・・ってのが若い世代にも多い傾向があります。

もちろんゲームのなんたるかって答えを持っていない老齢なゲーム馬鹿も多い!ってのは残念ながらあったりします。
ゲームに向き合ってる人=良識的なゲーマー・・・ってわけじゃありませんが、せっかくゲームと付き合ったのだからこそ!! ちゃんと向き合ってほしかったりもするんですけども・・・

ゲームの面白さのひとつに「今まで知らなかった事、物語を知る!」って事があります。
これは自分の価値観や、知識を得る!!って事で 上手く使えば楽しみながら学習できる!!って事です。
これは「知らない」を、「知った」に変化させる事で、いろんな価値観、選択肢、知識を得るという一面があります。
ポケモンの名前を覚える意味」より、「ポケモンと旅する意義と絆の価値を体感する」って学び方が出来る!!って方が 良い勉強になると思います。
名前や知識を覚える・・・というのは 「知識を得る」という満足感があって、充足するモノですが、「単なる刺激になる」場合も多いです。
覚えただけで満足して、以降の思考につながりません。
これに囚われると「新しい知識、価値観を知る!」為にゲームをプレイするようになってしまい、既に知っている要素で構成されたゲームに「価値を見出せなく」なります。

常に「知らない」を教えてくれる事を ゲームに求めるようになってしまうのです。

それはゲームの仕事では無いし、そのためにゲームが存在してる訳でもないのですが、そういった「刺激」を求める人も多いように思えます。
漠然とした「新しい何か」だけを求めて、実態の無い旅路を行く旅人のようなモノでしょうか・・・

そういったプレイを覚えてしまったら「ゲームは辛いだけ」になるんじゃないですかね?

もうひとつは「既に知っている事を復習する」って面白さです。

すでに知識として取り込んだモノを
より深く理解する事で自分の人生の知恵とする・・・って感じですかね。
こちらのゲーム体験だと 以降の人生に生かせるし、思考にもつながって無駄になりません。
こういった有意義なゲームとの向き合い方を学ぶと、いろんなゲームの違いが特徴なんだ!・・・ってことが理解できて、あれが嫌、ここが嫌って 言わなくなったりします・・・つーか、ともっちは言わないですけどね(苦笑)
だから良い部分も、ダメな部分も、両方受け入れてプレイしてます。

良いも悪いも「このゲームの特徴」であって、嫌ならプレイしない・・・ってだけです。
だから「飽きない」のかもしれませんね。