ゲームで苦しむ馬鹿な奴

昔にゲーム友達がともっちに相談してきたことがありました。 新しく買ったポケモンが楽しめない、ロールプレイングゲームも楽しめない、最近ゲームが面白くない・・・ ポケモンの話を聞いていると、出てくるのは愚痴、愚痴、愚痴・・・以前のポケモンと違う、デザインが変、変更点は改悪、音楽もダメ・・・ともっちが聞いてて思ったのは そんなゲームなんで買ったの?でした。 それだけダメ出しが多いんですよ。 実はともっちもそのゲームはプレイ済みで、しかも結構楽しめたりしたのです。 ともっちと友人で認識が違うゲーム・・・ なぜ? いろんな理由はあるのでしょうが、簡単に書けば 友人が気にしている部分を ともっちは全然気にしていなかったのです。 だから楽しめた。 ゲームに自分のこだわり、価値を押しつけなかった。 人間は自分の価値観を相手に押し付ける生き物です。 そしてそれが理解されずに苦しむ、もがく、足掻く。 目の前のゲームに 自分だけのイメージを押し付ける。そしてゲームをプレイして、自分のイメージと違う!と騒ぐ。 そりゃあ違うでしょう。君のイメージは君だけのイメージなのだから・・・現実は君のイメージとは違う方に行く。 それを理解している人は 無意味に騒いだりしない。 今回はこういう切り口できたか・・・と評価するだけです。 そんな自分なりの色眼鏡で見ていたら 楽しめるものなんて何もありません。生きることすら辛くなる。 周りに、物に、家族に、自分が望むイメージの通りの対応ばかり求めるのですから。 そういう人間を自分勝手というのです。 ともっちはそうならないように気をつけて生きていますよ。 普通、誰だってそうでしょうが・・・

ウルトラマン世代の子供たち

ともっちが子供の頃に好きだった子供番組に、ウルトラセブンという作品がありました。 ともっちはこれの前番組だったウルトラマン、さらに前番組のウルトラQの頃から 一生懸命見てきました。 しかし、年を重ね高校生になるとアニメからSF 小説、映画へと興味ある作品、見る作品が変わっていきました。 たまたま遊びに行った友人宅で 友人の弟が再放送のウルトラマンを見ていました。 友人と懐かしいなぁなどと言いながら見るともなく見ていると・・・ウルトラマンと怪獣が、何を表現しているのか・・・ぼんやりと見えました。 ウルトラマンも怪獣も、人間以上の力を持っている存在です。人間だけが力を持っていない。その人間を力ある怪獣が苦しめる。 苦しんでいる人間を 力あるウルトラマンが助ける。 怪獣は力を自分のために使う存在であり、ウルトラマンは 力を他人のために使う存在だ・・・ということに気づいた。 これから大人になって、大人の力・・・を手にいれたときに、その力をどのように使うのか?考えなさい・・・そう言ってるように見えた。 その日から ウルトラマンはともっちにとっての特別なヒーローになった。 父親や母親がウルトラマンなのだと思った。自分が一番力が無く、守られていたのだとわかった。そしてともっちが大人になり、両親が年老いて子供を守る力を無くした時、今度は自分がウルトラマンになるのだ!と思った。 両親の介護をしているとき、なぜか何度もこのことを思い出した。 つらくてくじけそうになったときも、テレビでウルトラマンを見て 元気を分けてもらった。 怪獣と戦うウルトラマンに、怪獣に苦戦するウルトラマンに、現実に苦しむ自分を重ねて励ました。両親を看取り、葬儀が終わったとき・・・地球を後にするウルトラマンの気持ちがようやくわかったような気がした。 まさか五十代になって ウルトラマンが心の支えになるとは思わなかった。そんなものだと思わずに見ていた。自分は一体、何を見ていたのだろう?何を見て生きてきたのだろう?子供番組とは 子供たちに世界とはこういうものだ!と教えているのだと思った。 そのための寓話なのだ。昔の大人は子供たちをしっかり育てていたんですねぇ。ありがとうごさいました。

ゲームとの向き合い方

ゲームが歴史を持ったことで、数が多くのゲームソフトが存在しています。 さまざまなゲーム機で、カセット、CD-ROM 、DVD -ROM、ブルーレイといった 多くの種類で発売されています。 昨日も書きましたが、どんなゲームと向き合いたいか? そのゲームがどのゲーム機に多く在るのか? それを理解しないと ゲームと向き合えません。 ともっちは基本的にファミコンは物語のないゲーム機だと思っています。一部のゲームソフトを除き いくつものジャンルに物語のないものが多いです。ですから物語を楽しみたいときはファミコンはプレイしません。一部のソフトをプレイすることを目的とします。ですからいつも同じゲームになります。スーパーファミコンになると 物語も導入され、もっちの楽しめる選択肢も増えます。しかし、性能的にやはり足りない部分があります。結果的に 物語が多いプレイステーションを楽しむことが多いです。 冒険、恋愛、ホラー・・・悲しい、怖い、楽しい作品が多いです。 これらのレパートリーが多いと、定期的にプレイするだけで数年が経過します。 実際にゲームを200本程待っていると、あまりほかのゲームに目が行きません。物語があるおかげで かなり長い間遊べますし、面白さも追体験ですから 気楽に楽しめます。さらにチートなんか使ったら もっと簡単になりますね。 ただ、いいかげんなプレイにだけはならないように気をつけます。 いいかげんにプレイしたら 遊ぶ意味さえありませんから。そうやって向き合うと、プレイステーションのゲームも 結構奥深いものがあります。 そこを考えながらプレイするのが楽しいですね。 皆さんも自分なりのプレイ方法を見つけて楽しむといいと思います。勝負を楽しむのもよし、戦い方を考えるのもよし、冒険を楽しむのもよし。すべて自分の思うがままです。

いろんなゲーム機で楽しみたいなら 余計なこだわりは捨てよう!!

家庭用ゲーム機が歴史を作り始めて30年、多くのゲーム機が発売されてきました。しかし これらのゲーム機において、いくつもの誤解が発生しているような気がします。 どのゲーム機が一番の遊べるのか? どのゲーム機の性能がいいのか? どのゲーム機が一番長く楽しめるのか? そんな 答えの無い質問が多い。 ゲーム機というのは遊ぶための簡易なパソコンみたいなものです。 メインの計算処理をするCPU と、映像処理をするグラフィックボード、音源の処理をするサウンドボード、データを記憶するメモリ・・・これらの組み合わせがゲーム機と言われるものです。 ファミコンは8BIT 、スーパーファミコンは16BIT ・・・処理速度の違いがあるだけです。 ファミコンで5秒の処理をスーパーファミコンは1秒で、プレイステーションは もっと早く処理できる・・・その程度の認識でいいです。 グラフィックボード、サウンドボードも独自の進化をして、それぞれのゲーム機の映像、音を作り出しています。 それらの性能の違いが ゲーム機の性能の差、特徴の違いと成ります。 ここまでわかれば後は簡単・・・ファミコンスーパーマリオは2D、ドット絵に成りますし、それ以外のマリオはファミコンでは作れません。3Dのスーパーマリオをプレイしたければ 64以降の性能が必須となります。 結局、各ゲーム機の面白いソフト・・・に合わせたゲーム機を選ぶしかないのです。 ファミコンで64のスーパーマリオをプレイしたい!!というのは船で空を飛びたい!!というのと同じです。 そんなこと できるわけありません。 求めるのが間違いなのです。 それで苦しんでいる、怒っている人がいるから こんな馬鹿なことを書きましたが、それに気付かず苦しみもがいている人がいる。 自分の遊びたいゲームソフトに合わせたゲーム機を用意するのが一番早いです。 そういうゲームソフトが多いゲーム機が自分にとって一番遊べるゲーム機なのです。 他人にとってどうなのかはまったく関係がありません。 奥さんと結婚するのと一緒、ナンバーワンではなくオンリーワンで選べばいいのです。 簡単でしょ?

ゲームで急いて どーするの?

ここしばらくレトロフリークでインベーダー、ギャラクシアンギャラガといったファミコンの名作?と呼ばれるゲームをプレイした。 やはり名作と呼ばれるだけはあって、どのゲームも面白い・・・が、30分で飽きてしまった・・・ やはりともっちには物語の無い面クリアゲームは遊び続けられない。 これがアドベンチャーサウンドノベルといったゲームであれば100時間を過ぎても遊べるのだが、これがともっちの嗜好なのだろう。 子供向けのポケモンは遊べるのに インベーダーは遊び続けられないというのは我ながらわかりやすい性格だと思う。 ともっちには物語性のないゲームは遊び続けることができない!! 結果的にファミコンの数多くのアクション、シューティング、がプレイできない。 本人がしたいとも思わないのだから良いのだが、一部の思い入れのあるゲーム以外がプレイできない。 ともっちがファミコンでプレイするのはファミコン探偵倶楽部ファミコンウォーズジーザス程度である。スーパーファミコンになると大航海時代信長の野望といったおぢさん向け?のゲームもプレイするが、サウンドノベルやロールプレイングがほとんどになる。 じっくり落ち着いて 余裕を持ってゆったりとプレイするのがともっちのプレイ方法だ。 娯楽のゲームを急いでやってもつまらないになるだけだから。 ところが、周りのプレイヤーを見ると、なぜか急いてプレイしているように見える。早く!!にこだわり 先を急ぐ。 楽しいことをしているはずなのに なぜか余裕がない?・・・楽しめてない?ように見える。 ともっちは水族館が好きなのだが、水族館を急いで回ったら楽しくないよ?だからいつも時間的な余裕を考えて行動する。 ゲームでも一緒だ。 余裕のない娯楽は 実は娯楽にならない・・・それを知っているから。 こんな当たり前のことも忘れてしまう人はいる。 人間て悲しいよね。

ゲームが必要とされる未来は来るか?

最近、ともっちが面白く感じていることがある。eスポーツを初めとしたコンテンツ。 コスプレと言われる自己表現。 こういったゲーム、アニメを根に持っている価値観が増えてきている・・・という現状だ。 ともっちはアニメやゲームと言ったコンテンツに子供の頃から触れ続けてきた世代だ。当然のようにそれらのコンテンツに対し自分なりの価値観を持っている。 同世代の人からは幼い、子供っぽいと言われるのだが、これらのコンテンツで学べるし楽しめているから楽しんでいるだけ。 誰にも何の迷惑もかけていない。 そしてともっちよりも下の世代で、これらのコンテンツの価値を認め、盛り上げてくれる子供たちがいる。 これは社会の変化であり、世代の変化であり、価値観の変化でもある。 これからの社会は彼ら子供世代のものだ。 ともっちようなおぢさんは その片隅でひっそりと生きていくことになるのだろう。 子どもたち世代にとって、ゲームもアニメもあって当たり前!!である。楽しんで当然である。楽しめる娯楽を楽しまない理由がない。 でもそれを知らない世代が 卒業をしなさい! いいかげんにしなさい! 大人になりなさい! と言う。 自分たち世代が楽しまなかったものを、楽しめなかったものを、理解できなかったものを楽しむ子供世代を許せなくなる。アニメにゲーム、そういったものに 何の価値観も持てなかった世代が否定する。 無駄だ!! 無意味だ!! 価値がない!!と・・・ これはその世代の人の価値観だ。そういった矮小な狭い価値観にとらわれて、狭い世界だけで生きている・・・・ その発言は個人が発する呪いのようなものだ。 その人がその価値観に縛られて生きるのはかまわない。 その人が納得しているのだから。 しかし、それを他人に強要するのは 間違っているとしか思えない。 ゲームやアニメという存在に癒されている、楽しめているという人は、その価値観を受け入れ、そこにある幸せを享受しているのだ。 それを理解できない人が 自分の狭い価値観でそれらを否定する。 楽しめている人の価値観も否定する。お前が子供だから楽しめる!! 自分は大人だから そんな子供じみた 無価値な バカバカしいものは必要ない!!そう言ってくる。 しかし、世代が変わり、社会が変わり、価値観も常識も変わっていく・・・ガンダムというアニメが描いた世界の通りだ。コロニーという、宇宙という価値観を手に入れた人間は、新しい価値観に生きるニュータイプへと変わり、地球という価値観に固執する人間は その惑星に閉じこもり 古い時代に生きるオールドタイプと呼ばれる。 古いものに固執する人間には 新しいものは作れない。新しい時代に生きる事すら難しい。ね? アニメだって勉強になるでしょう?

ゲームをプレイするのは難しい 

ともっちがゲームをプレイしていて思うのは ゲームって[結構な難易度がある]よね・・・って事。 実際、ロールプレイングゲームをプレイしていると システムや物語の骨組み、登場人物たちの関係、町やダンジョンの情報・・・管理する物が多すぎて 肝心の物語を忘れてしまう・・・そんな本末転倒になったりして。 ファミコン時代のゲームならば 情報量も大したことはないので問題はないのですが、プレステあたりで本格的な3Dダンジョンを作られたら・・・その広さで 心が折れます。 プレステの初代ペルソナがコレでクリアできませんでしたから。 やはりゲームはほどほどの難易度、魅力的な物語の二つが無いと、継続できないです。 モチベーションやテンションに影響しますから。 ともっちも チートを使ったり、中断してそれらの維持に心がけています。 そうでなければゲームがクリアできません。最近の誰にでもクリアできるゲームでコレだもの。ゲームの難易度というのは結構あるんだと思いますよ。