ゲームの価値を知っているのは ゲームで遊ぶ人だけ。

ともっちの奥さんはゲームをしない人です。 それでもここ1年で随分とともっちの影響を受けて、ゲームに肯定的になりました。 ともっち自身も奥さんにゲームのことを教えながら 注意深く指導しています。 一番注意するのが ゲームとの距離感。 ここをきっちりと教えないと、最近流行り?のゲーム依存症?になりかねない。 人間は自分が肯定的に受け入れた物に対し 寛容になり、下手をすると 新しい刺激に対してのめり込んでしまう場合があります 。 際限なくやり続けてしまうのです。 ゲームはおもしろい。節度ある楽しみ方をしている限り・・・ですけどね。 ここ1年、ともっちは「ひとりでは楽しまないこと」を誓ってきました。 ひとりだけで楽しむと 楽しめる人、楽しめない人・・・との間に認識のズレが出ます。 すると「ゲームで遊ぶこと」自体に対する良い悪いといった価値観の違いが育ちます。 これが育つと 価値観の違いから喧嘩になります。それだけは絶対にならない!!・・・ これを自分に対する戒めとしてきました。 そして 奥さんはゲームの面白さに目覚め、暇なときには自分からゲームに手を伸ばすようになりました。 それでもひとりでは遊びません。「ゲームは家族で遊ぶもの」・・・が ともっちの家のルールだからです。 おかげで夫婦仲も良好。 毎日プレイする1、2時間のゲームを話題に 笑って話をしています。 娯楽は生活の潤いです。 そうあるべきだし、そうを楽しむのが賢い使い方でしょう。 

久しぶりにクロノトリガーをプレイしてみた 

平成を代表するゲームがクロノトリガー・・・とは思わないが、ともっち1人が決められることでもないので ゲームファンの総意と納得しました。確かに面白くはあるんですよ この作品。ロールプレイングゲームのラストが分岐して、強くて最初から・・・の繰り返しプレイが必須になるけど。物語は結構単純なんですが、時代を飛び回るので こんがらかるプレイヤーもいるかも?・・・単純だからそれもないか? 内容は簡単。決まってしまった未来をひっくり返す!だけの物語なんですが、これが結構燃えるんですよ! 萌えるじゃなくて、燃える・・・の方ね。 少年漫画のドラゴンボール的な男の子受けよさそうな作品。 今でも心の片隅に少年時代の思い出のあるお父さんには懐かしくプレイできるのではないでしょうか。 ともっちはプレステ版とスーパーファミコン版を持っているのですが、スーパーファミコン版は電池切れ・・・仕方なくレトロフリークでのプレイ。 去年プレイしたセーブデータがあったので、プレステ版でもよかったんですが、レトロフリークの方が分岐のデータを多数作れて残しやすいか?ということでチートしながらの新規プレイとなったのでした。このゲーム、レベル上げるだけでもクリアはできるんですが、苦戦確定!!となりかねないので サブシナリオの最強アイテムを入手するためにクリアしておかないと 楽勝!!とはいかないかも。 緊迫感のあるバトルを楽しみたいならかまいませんが、ともっちは物語を楽しみたいだけですから 楽な道のりを選びました。 時間をかければそれなりにクリアできる・・・というのは優しい配慮かと思います。 その分楽しさも増えるわけですから。 ここをめんどくさい!という人は このゲームには向かないかも・・・ ともっちは充分に楽しめましたけど。 ただ、以降のドーピングアイテム回収のプレイは、来年になるかもだけど。 じっくりと別なエンディングを目指してプレイしていこうと思います。 

ゲームは生活に在って良い物? 悪い物?

子供たちにとって人気のあるコンテンツというと マンガ、アニメ、ゲームでしょう。 これらのコンテンツは子供たちにも理解しやすく作られており、内容も面白く 考えさせられるものがあったりします。 全てがそういった作品ばかり・・・とは言えませんが、傑作、良作といわれるものも数多くあります。 しかし、問題は作品自体に問題があるわけではない場合が多いです。 問題は子供たちにとっての環境・・・家庭内にあります。 子供たちが夢中になるほどに面白いと感じているもの・・・それを両親が「面白くない、つまらない」と切り捨てます。 こういった価値観の違い・・・は 親子であれ世代であれ あちこちにあります。 親が良いというものを子供が悪いと言い、子供が良いというものを親が悪いと否定する。 人間は幼稚園の入園前から自我を持ち、以降は その「我(われ)」を育てて生きています。そうやってその人なりの価値観を身につけていきます。そうやって個人個人の価値観が形づくられていきます。 その時代の、その世代の、その社会の影響を受けながら。 そうやって出来上がった価値観は共通性がなく、個々の人の『認識の形』でしかありません。 「カラスが黒い」を理解するためには、カラスという鳥を認識し、黒いという色を認識し、その2つを合わせた状況が「カラスが黒い」だと認識できるわけです。その共通性を持たせるために行われているのが学校の勉強です。 学校の勉強で得られた『カラスが黒い』という認識を持つことで 他人との意思の疎通と認識の共有が可能となり、社会を形成することができるようになりました。 しかし 社会が複雑になった結果、人間は複雑になってしまった社会を認識し 理解することを諦め 『勉強する』をしなくなりました。 そして 自分の認識と他人との認識の違いに苦悩するようになったのです。 他人を自分の価値観の枠なかに押し込めて、自分にとって都合のいいようにコントロールしようと苦しみます。 それを行なって良いことがあるのは、実は『それを行なっている人にだけ』なのです。 そうやって人は『自分勝手な生き物』に成ってしまうのです。 マンガやアニメやゲームといったコンテンツは、実は昔からある書物や絵画といったコンテンツと同じで、自分勝手な生き物にならないための考え方、生き方を学べる寓話として作られています。 問題なのは『子供が ただ面白いから』という理由だけで楽しんで、その作品から何も学ばない・・・部分にあります。そこを大人が教えなければならないのですが、肝心の大人がそれを理解できていません。 自分には関係ない物として なんとなく批判して否定します。 面白さを理解している子供たちの声も無視します。 家族で向き合って、家族で学んで、家族みんなで楽しめたら・・・面白いコンテンツだと思うんですけどね。 自分は嫌いだ、バカバカしい、つまらない・・・なんでそう感じたのか?ちゃんと考えてるんでしょうか?おもしろいという子供の意見に耳を傾ける必要はないのでしょうか?そうやって自分勝手に向き合うから、それらのコンテンツの面白いが理解できないのです。 同じゲームでも面白いと思って向き合えば面白いし、つまらないと思って向き合えばつまらなくなります。それを決めているのは他人ではなく自分なんですよ。 良いも悪いも使い方、向き合い方・・・それを知らなければ馬と鹿の違いは理解できないでしょう。 娯楽はどこまで行っても娯楽です。 向き合い方によって変わるもの・・・ならば価値のある作品として向き合いたいものです。

ゲームで幸せになりたいなら、初代のプレイステーションで充分だよ?

50代のゲームおぢさん、ともっちです。 おぢさんがゲームをしていると、若い頃には感じなかったことをいろいろ感じたりするものです。 今日はそれについて書いていきましょう。 人の幸せとは・・・なんでしょう? ともっちは「自分にどれだけ選択肢を用意しているか」ではないかと思います。 車があれば買い物に使う、デートに使う、旅行する・・・といった選択肢が作れます。 恋人がいれば、休日に会話を楽しんだり、お出かけしたり・・・選択肢が増えます。 これらの選択肢が作れない、それらを持っていない・・・という人は、持っている人よりも 一歩だけ幸せから離れている・・・場合があります。 そうゆうのは欲しくない!!という人は、欲しくないし持っていないのだから 現状で幸せでしょう。 欲しいけれども持っていない!!・・・というなら辛いでしょうね。 そういう時に気分転換に、生活の張りとして使えるのがゲームという娯楽です。 釣りをしたいが、道具や時間がない・・・そういう時こそゲームの出番です!! 自分のお気に入りの釣りのゲームをプレイする。 車を走らせたいなら自分のお気に入りのレースゲームをプレイする。 そこで30分、1時間楽しんだら、また普通の生活へと帰っていく。 これで気分はリフレッシュ!! 嫌なことにグジグジ悩みながら生きるより、よっぽど気持ちよく生きる事ができます。 ともっちだと、釣りならフィッシュアイズ、レースならリッジレーサー、ゴルフをしたければみんなのゴルフ格闘ゲームなら鉄拳、怖がりたいならトワイライトシンドロームバイオハザードエコーナイト・・・映画的で、物語もおしろい。 小説を読みたいならサウンドノベル。 そんな感じにゲームと向き合ってます。 その時々で任天堂マリオゴルフマリオカートを楽しむけどね。 一時期よく言われていたバーチャルリアリティーってのは、そういうものなんじゃないの? ともっちなりの解釈だけどね。 

牧場物語には 意外と知られていない裏がある。 

ども!ともっちです!! 今日はともっちの大好きな牧場物語について書いて行きましょう。 牧場物語というゲームは いろんなゲーム機で発売されてるし、続編も多いので 知ってる人も多いでしょう。 荒地を耕して野菜を作ったり、牛や鶏を飼うゲームです。 自分なりの夢を描いて牧場経営をしていくのですが・・・ここが結構 頭を使わないで 出たとこプレイする人が多いのではないでしょうか? なんとなくな雰囲気で鶏をたくさん飼いたい!牛もたくさん! 農場も広げて!!・・・とプレイすると、ひどい目に遭う。 人手が足りずに地獄を見るわけです。 自分の中の目標や飼いたいという欲望が大きすぎると、めちゃくちゃ忙しくなり ゲームが作業に変わり 辛く、つまらなくなっていく。実はこのゲーム、自分の欲深さがわかるんですよ。 そんな怖い一面・・・裏があるんですね。 このゲームを楽しむコツは『足りるを知る』ということ。 求めすぎず、夢?野望?を広げず、手に入った種と家畜で奥さんをもらって堅実に生活していく・・・そんなささやかな日常に価値が有ることを教えてくれます。 こんなゲームでも人生勉強は出来るんですねぇ。

暑い日にはホラー映画!!『着信アリ』歪んだ愛情が悲劇を連鎖させる

ここ数日暑い日が続いています!! まだ5月なんですよ? いつから5月は夏になったんだ!?と叫びたくなりますが、暑いのは仕方がない・・・ホラーゲームでも・・・と思ったのですが、ゲームができないほど脳みそがとろけてる!! クリームチャウダー状態ですね。  しかたがないのでゲームはやめて ホラー映画鑑賞に変更!! 奥様から半端じゃない反対意見も出たのですが、そこは夫婦のパワーバランス・・・奥様が譲ってくださいました。 晩飯をともっちが作るって条件で。 しっかり?ちゃっかり?とにかくすごい交渉術!! ともっちも覚えたいね。 というわけで交換条件があるならば こちらも本気で怖いのを選ぶぜ!!・・・・ともっち性格悪し!!! リング?呪怨?・・・ここは後味がすごく悪かった『着信アリ』でいこう!!  この映画、演出がすごく嫌!! 変なところに変なものが出てる。 物語も育児に問題がある親子の歪んだ愛情物語。 歪んだ愛情が悲劇と不幸を連鎖させてる。この映画の親子関係、絶対間違ってる。 奥様もいやそうな顔してびびってる。ウケケケ!・・・で、やっぱり後味悪いのよ。 お母さんは救われたよーなんだけど、他が救われてないし・・ 劇中のセリフの『人の数だけ空が有る』ってのは、『人の数だけ愛し方、愛され方が有る』という意味でしょう? それがこれだけ歪んでいたら・・・嗚呼!恐い!!! 幽霊より生きてる人間の方がよっぽど怖いわ!!

ゲームの楽しみ方のコツを伝授!!   

昨日、ゲームを楽しめない人は自分の我をゲームに押し付ける・・・と書きました。 我をゲームに押し付けるというのは、そのゲームソフトを自分の楽しみたいように楽しみたい!!と求めるということです。 現実に展開されている物語よりも、もっと自分の好みな物語を!!アクションを!!ゲーム展開を!!そう求めます。 我というのは 対する何かに求め続けるということなんです。 両親に、友人に、恋人に、伴侶に・・・ 自分はこうやりたいのだから、与えてくれてもいいじゃない!!という求め続ける考えが我です。 この考え方を普通にするようになると 人は不幸になります。 そんな永遠に求め続けられるような存在はうっとうしいだけだからです。 誰からも嫌われます。 当然ゲームも楽しくないです。 目の前にある料理を味わうのではなく、自分が満足するだけのものを提供しろ!!と自分勝手に怒鳴り散らすのですから。 たとえゲームがどんな面白いを提供しても、コレじゃあない!!となるだけです。 だからどんなゲームをやっても満足できません。 ペルソナ4でも言っている、人は見たいものを見たいように見る・・・とは このことなのです。 気がつかない人は、こんな当たり前の理屈にさえ気づかないのです。 ならば幸せになるためには何が必要なのでしょうか? 答えは愛なのです。漫画やアニメやゲームに出てくるアレですね。 愛とは与えるものです。 自分を楽しませてくれるゲームを受け入れ、楽しませてくれてありがとう!と感謝を返す。 ゲームの描いているものを理解して、純粋に楽しむ。 真面目に向き合う。 これができればどんなゲームでも楽しめます。・・・よほどのクソゲーでない限りですけどね。 昔からゲームをプレイしてるだけのゲームおぢさんには この程度の助言しかできませんが、1人でゼロから学ぶよりはいいでしょう?